あれは2012年のよく晴れた暑い日だった。
タイの高速道路を走るタクシーの中での悲劇を記しておく。
陽気なドライバーが運転するタクシーに乗って、僕らはバンコク南方の外れにあるクロコダイルファームに向かっていた。ワニ園と言われるワニが主体となっている有名なB級動物園だ。
Samutprakarn Crocodile Farm and Zoo
助手席には僕、そしてMとCが後部座席に座っていた。
ある時、後部座席でCが呟いた。
「トイレに行きたい・・・」
この時は誰もがこの後の悲劇を予想していなかったので、次にトイレがあったら行きたいので寄ってくれと普通にドライバーに伝えた。僕もMも事態を軽く考えていたのだ。
しばらくしてCが再度訴えかけた。
「やばいかもしれない・・・」
どうやら大きい方のようだった。
Cの雰囲気立ち振る舞いが、だんだん洒落にならない感じになっている。
再度ドライバーに友人がやばい状況であることを伝えるも、ドライバーは陽気に笑っていた。
しかしCは全く笑っていない。
深刻さを察して我々も笑ってはいけないなという空気になってきた。
というのも、なかなかサービスエリアやパーキングエリアがない。
いったいどうなってしまうのか。
我々が狼狽え始めたのを見かねたドライバーが、
「おい、これを使えばいいよ」
そういいながらドライバーが尿瓶的なものを出してきた。
馬鹿野郎。「でかい方だよ!」咄嗟にこう叫んでしまった。
「ヒーウォンツトゥドゥビッグ!ビッグシット!」
ここで初めてドライバーの顔がシリアスな顔になった。
「オーマイガッ」と呟いている。ようやく事の重大さがわかったようだ。
Cの顔は見たこともないくらい青白く、滝のように汗が噴き出していた。
これは見てる方からしてもただならぬ限界状態であることは一目瞭然だった。
何か現代に巣くう悪霊のすべてと戦っている有様というか、彼のまわりの時空が歪んでいるかのような気迫である。一刻を争う事態だ。
しかしそこへ更なる追い打ちが・・・
天は我らに罰を与えたもうたのか。
突然の渋滞である。
遥か先まで自動車が列を作っている。駐車できるスペースすらない。
絶望的だ。
「やばいやばいやばい!!」
爆発する!?ここで!?全員が息を呑んだ。
マジか。マジなのか。臭いのが嫌だとかそういうのもそうだけど、何よりも彼が爆発したら慰める言葉も見つからないだろう。いたたまれない。同じ現場に立ち会ってしまうことを申し訳なく思ってしまう。でもどこへも逃げられないしどうしようもない。クリスチャンならアーメンと言いながら十字を切っているだろうし、仏教徒なら念仏を唱えているところだろう。
僕らは各々の神に祈った。
最悪の事態が起こってしまったとしたら、今後彼とどのように接していけばよいのか、彼の自尊心は保つことができるのか。あらゆる面で場に緊張が走った。
そんな緊張感をよそに、車が全く進まない。ほぼ止まっている。
Cが叫んだ!
「もう降りたいっ!!!!降りる!!!!」
その手があったか。勢いよくドアをあけて示し合わせたかのように僕とMはCに背を向け前後で挟んで隠すように立った。Cは震えながらも素早く側溝に身を屈めたようだった。
そして前はドアを開けたままホールドして前方からの視界を遮断し、後ろはバスタオルを広げて後方からの視界を遮ったのだった。まるでアイドル生着替えタイムのようなショータイムである。
(ブチュッ!!!ブリュビュゥリュブリュ!!!!!!)
タイの高速道路の喧騒の中で、世に鳴り響いたであろうその音は見事に掻き消されていた。
ものの10秒ほどでCが叫んだ。
「終わった!!!もう大丈夫!!!」
はやいっ。ギネス級の早さだ。
しかしよくやった。大惨事を回避した彼に、拍手でもして賛辞を送りたかった。
気のせいか修羅場を越えた彼の顔は心なしか男らしく何かを悟ったような面持ちになっていた。
その後目的地だったクロコダイルファームで彼はパンツを投げ捨てたと言う。
理由は聞かなかったが、いくらかメルトダウンしていたのかもしれない。
Cの背中に、拳大の見たこともないくらい大きな鳥の糞が着いていているのに気がついた。
僕はこっそり写真に収め、今日はとことん糞に縁のあるやつだなとほくそ笑んだ。