プロローグ
幼馴染のSと、この9月にインド旅行に行くことになった。自分は理系の大学院1年生で、Sは通称防水屋さんと呼ばれる土木関係の何でも屋をやっている。Sとは幼馴染と言っても幼稚園、小学校ではよく遊んでいたが、中学生でS君がヤンキー化してしまったのでそれ以降はあまり遊ぶことはなくなっていた。
この年で社長とは凄いものだ。仕事が入れば過酷な労働を集中して行い、その後仕事が終われば長期間はお休みというスタイルだったので、3週間ほど休みを取ることができるらしい。自分の方はと言うと、研究室に入ってはいたが、今なら3週間逃亡しても何とかなる気がした。学生の時にしかできない経験をしておくべきと考え、多少無理をして時間を確保した。
何故だか忘れてしまったが、自分が大学へ進学した頃からまた連絡を取り合うようになっていた。確か大学三年生の頃だったか、海外へ2人で行こうという話で盛り上がり、タイへ行くことになっていたのだが、自分の方に不幸ごとがあってほぼ前日にキャンセルしてしまった。
その時S君は初海外でひとり旅になってしまい、半泣きになりながら日本を発ったが、後日刺激的な大冒険になったという話を聞かせてくれた。その後自分も卒業旅行でタイへは行った。だが、まだまだバックパッカー的なアジア貧乏旅行に慣れているとまでは言えない。
それから2年経ったわけだが、あの時のリベンジということで、今度こそ2人で旅に出ようということになったのだ。もちろん2人とも行ったことがないところがよかったので、かねてから興味があったインドを行き先に選んだのである。
集合場所に現れない・・・
前日に冗談で言っていたことが現実に起こってしまう。
「携帯を持たないで待ち合わせって怖いな。」
「会えなかったら空港で会おう。」
笑ってそう言い合っていたものだったが、実際にSが来ない。
集合場所は大阪梅田のロケット広場で7時20分に着いた。
約束の時間は7時30分だ。ところがいくら待っても来ないのである。
8時にはここを出ないと危険だなと思い始め、50分になった時点で痺れを切らした。
実家に電話して置いて来た自分の携帯の中からSの電話番号を探してもらおう。
公衆電話から実家にかけると弟が出て、無事Sの電話番号を入手することができた。
すぐさまその電話番号にコールする。
しかし、コール音は虚しく鳴り続ける・・・
時計を見るともう8時をまわっていた。
(仕方ない・・・1人で行こう。)
冗談じゃなくそう決意した。まあ空港で会えるだろうと。
切符を購入してホームへ入り、しばらくすると後ろから肩を叩かれた。
Sである。
「久しぶり。ちゃんと会えたな。」
ケロっとしている。何事もなかったように。
「え?何で!?ロケット広場は!?」
そう聞いてみると、
「5分遅れたからもう行ったかと思って・・・」
衝撃的な発言である。
何がって、Sは一度も待ち合わせ場所であるロケット広場に行っていないのだ。やれやれ・・・先が思いやられる。
今後はぐれるようなことがあったら、ウロウロ探したりせずに2人が最後に一緒に居た場所に戻ってじっとしていることというルールを作った。
何はともあれ合流することができ、空港行きの電車に乗れたのはよかったが、何やらSの様子がおかしい。やたら咳をしていて辛そうな感じである。聞けばものすごく風邪をひいているとのことだ。やれやれ・・・大丈夫かよ。
「弱った身体でインドなんか行ったら恐ろし気な病気にかかるよ。」
「俺はあんたみたいに弱くないから大丈夫。」
そうですか・・・
でも正面でそんなに咳をされたら移りそうだよS君・・・
関西国際空港から台北へ
関西国際空港は初めてだ。成田空港とそう変わるわけでもないけど。
ささっとチェックインして飛行機に乗りこむ。
うとうとしていたら台北で着陸したようだ。
ん、台北?
なんで?行き先は香港だったはずだ。航空会社はキャセイパシフィック航空だし。給油なのかトラブルかのかわからないがみんな降りている。英語も中国語も聞き取れず、寝ていたので日本語もよく聞き取れないままに、理由も分からず荷物を持って降りる。
降りてしばらく歩いていると、まわりは自分たち2人しか居なくなっていることに気づく。
「あれ?何で誰もおらんの?」
「え?そう言えばなんで台北で降りてんの?」
「もしかして降りたらダメだったんじゃ・・・」
狼狽え始めたその時、台湾のCAたちが歩いているのが見えた。
チケットを見せながら恐る恐る聞いてみる。
「僕たちはどこへ行けばよいですか?」
「あははっ。これ台湾行きなのに何でここに居るの?間違ってるね~」
マジか・・・バスじゃあるまいし飛行機で間違って降りるなんてあり得るのだろうか。とにかく血の気が引いた状態で全力で走って案内された場所に向かった。するとフライトは1時間後になっていた。間違ったわけじゃなかったのでは・・・まあ別の場所に行こうとしていたら間違いになるか。力が抜けた途端、旅行先が台湾になったかと思ったなど冗談を言える状態にまで落ち着いてきた。CAめ、ビビらせてくれる。
香港での乗り継ぎ
香港での乗り継ぎは相当時間を持て余した。
というのも、大阪からインドまで全部で14時間10分のつもりだったが、時差が3時間30分あるので乗り継ぎ時間や到着時間は全て現地の時間で表記されていた。つまり、実際は17時間40分かかることになる。まさにお疲れ様である。
・・・・そして25時25分、ついに悪名高い深夜のニューデリーに到着したのである。
深夜のデリーイン
まず飛行機を降りて感じたことは・・・
寒い!!!!
エアコン効きすぎだこりゃ冷蔵庫並だ。案の定Sの咳は酷さを増している。この先大丈夫だろうか…。まずはインドの通貨、”ルピー”を作らないと何もできない。両替をしなければ。両替所は…と。端っこに2か所両替屋のような建物が並んでいる。
両替屋で自業自得の失敗
この両替で最初の失敗をしてしまう。出発前にガイドブック『地球の歩き方』を読みまくったがゆえに、様々な失敗例や被害例が頭に刷り込まれていて必要以上にインドに対して身構えていたいのかもしれない。この姿勢が仇となってしまった。
とりあえず適当に右の方の銀行らしき両替所で20ドルを両替しようと考えた。レートを示した看板によると、901ルピーになるはずだ。なるはずだった。(当時1ルピーは2.5円程度)
しかしおっさんは、900ルピーしか出さなかった。
出た!インド人は銀行員だろうが何だろうがお金をちょろまかすと聞いていたので、早速出たと思って1ルピー足りないではないかと抗議した。
すると、おっさんは1ルピー切らしていると言ってきた。そんなことあるか?両替所が?舐められているのではないかと思い、
「両替屋がお金切らせてどうすんねん!」と日本語で叫ぶ。
そして、「隣から借りてこればいい」と言ってやった。
すると隣りは別の店だから無理だと言う。まあそうかもしれない。そして、おっさんはやれやれという顔で20ドル紙幣を返して来た。まあしょうがないか。隣の両替屋で両替すればよい。興奮冷めやらぬまま隣の両替屋に頼んだら、860ルピーが返ってきた。何故だ?看板のレートは同じなのに。
どういうことか問いかけると、手数料だと言ってきた。そんなの聞いていない。だったらやめたいと言ったがもう遅い。コンピュータに打ち込んだものは修正できないと言う。
「いいや、できるはずだ!」と言ってもみたが、
「じゃあ本社に電話してやるから聞いてみろ、ほれ!!」と電話番号を突きつけられる。
たった1ルピーのための頑張りで40ルピーをいわしてしまったことを認めなければならなくなってきた。この一連のやりとりを後ろで見ていたSはちゃっかりさっきの両替屋で20ドルを差し出している。しかしおっさんは嫌だと言い出して両替を拒否しているではないか。さっきのやりとりでムカついたんだろう。しかしムカついたらといって拒否することなんてできるのか。さすがインドだ。怪訝な顔をしていると、おっさんは話しかけてきた。
「お前は中国人か?韓国人か?」
「日本人だ…」
「日本人ならもっと暖かい心で居ろよ!」
仰る通りだ。日本人は暖かい心の持ち主という認識を持ってもらっているのは嬉しかったが、インド人にしょっぱなからそんなことを言われてしまい恥ずかしい思いが込み上げて来た。
「ただ…、色々と気をつけなければいけないから…」
それだけ言って出口の方へ向かったのだが、すぐに足が止まりそれ以上進めなくなる。
異様な雰囲気と気味の悪い光景
出口を出ると、気味の悪い静けさと無数の光る眼。送迎待ちのインド人たちだ。道の両脇から異常なほどジロジロと見られ、とてもその間を進む気にはなれない。
だがそこを通らなければ外へ出ることができない。意を決して突き進む。
インド人たちはジロジロ見るだけでそのまますんなり出ることができた。何か拍子抜けだなと思ったが、油断はできない。地球の歩き方には、だいたいこのような内容が書かれていた。
深夜のデリー着は危険がいっぱいなので、送迎を頼んでいない場合は空港のリタイヤリングルームで一泊するのが良い
リタイヤリングルーム?一度出てしまっては入れないのではないか?急きょ戻りたいと思ったが地図を見ても目的の部屋には行けそうもない。
戻ろうとしたことを警備員に見つかり”NO”と止められてしまう。仰々しく長い銃を肩にかけていて迫力がある。仕方なく出ることにする。
地面で寝そべる人間たちの多さに驚いた。
見た感じ乞食!乞食!乞食!この人たちはここで何をしているんだろうか。全員漏れなく胡散臭い。気候は異様にじめじめしている。キョロキョロしていたら、インド人たちが寄ってきた。
「タクシー!タクシー!」
「コンノートプレイス!メインバジャル!!」
・・・やかましすぎる。
イライラしながら「ノー!!」と叫んだ。空港の外に出るのであれば安宿街を目指さなければいけないのだが、バスは動いていそうもなかった。もちろん宿の予約など取っていない。(この頃はBooking.comのような便利なものはないのである)
地球の歩き方をもう一度くまなく読み漁る。
するとどうやら出口を出て右折したところにVisitor’s Loungeという部屋があり、そこで一泊できそうなことがわかる。ラウンジとはいいつつも、駅の待合室を広くしただけのようなスペースだ。入ろうとすると、銃を持った警備員にストップをかけられる。
「ティカト!!!」
何語かわからんが何を言っているんだ?と考えこんだが、どうやら英語でTicketと言っているようだ。航空券を見せてみると、違うと言われる。こういうチケットだと言わんばかりに紙切れを見せてきた。また騙されるんじゃないかと身構える。いくらか聞くと25ルピーと言ってきた。高いのか安いのか感覚がつかめなかったので少し様子を見ることにする。
トイレに行きたくなったので、「Where is a bathroom?」と聞いてみるも通じていないようだ。washroom,restroomと単語を替えてみたがダメみたいだ。困っていると、「罰ルーム?」と聞いてきた。しばらくなんだそれはと思っていたがbathroomと言っているのだと理解した。どうやらthの発音が強いという話は本当のようだ。
用を足してしばらく観察していると他の人も25ルピー払って中に入っていることがわかったので、ぼったくりではないと判断し、お金を払って中に入った。
Visitor’s Loungeで一泊
だがそこは、冷蔵庫のように寒かった。どうしてここまで冷やす必要があるのだろうか。そこは200ほどの席と何台かのテレビが設置されていた。
「もう今日は寝た方がいいな…。でもこの中で寝ると一発で風邪ひきそうだな。」
Sを見ると既にますます症状を悪化させているようだ。これはまずいぞと本気で思った。いきなり病院に連れて行くなんてことにならなければよいが。しかし選択の余地はない。外はヤバイ。こんな胡散臭いインド人たちがゴロゴロする中で果たして寝てもよいのだろうか。
そう思いもしたが疲れがピークに達してきたのでもうどうでもよくなった。パスポートや財布などが入った小さなバッグにも小型の南京錠をかけ、バックパックを椅子にチェーンでロックしながら椅子3つにまたがって横たわった。